女子バレー前田悦智子(田村悦智子)の引退後(過去)と現在!新・東洋の魔女を率いた「背番号3」は今

この記事では、日本女子バレーボール界をリードしてきた前田悦智子(まえだえちこ)さんをご紹介します!

前田悦智子さん(現:田村悦智子さん)ってどんな人?

前田悦智子さん(現:田村悦智子さん)は

1952(昭和27)年1月31日(木) 生まれ。現在67歳です。

東京都のご出身。お父様は中国の方で、3人の兄・姉がいます。

実業団に入部したのは1970年(昭和45年)のことでした。

そして4年後の1974年(昭和49年)、全日本女子バレーチーム入りを果たします。

中学時代の前田さん

幼いころは重度の貧血症を持っており、ドクターストップがかかるほどだった悦智子さん。

そんな前田さんがバレーボールの才能を発揮し始めたのは中学生時代のこと。

バレーボールだけでなく、走り高跳びで都大会に出場するなど、天性のバネを生かし、活躍していました。

高校時代の前田さん

高校には陸上部がなく、バスケットボール部に入るかバレー部に入るかで悩んだ前田さん。

そして選んだのが、後に日本代表チーム選抜メンバーの地位まで上り詰めることになるバレーボールだったというわけです。

選択の理由は、(貧血持ちの)体に対する負担が軽そうだったから。

中の人

いやいやそんなことないでしょ

当時は貧血症のためレギュラー入りはできず、球拾いに明け暮れる毎日だったようです。

しかし、中学生時代の陸上部での活躍を記憶していたバレー部のコーチが前田さんに実業団チーム・東京三洋電機(当時)の監督を紹介。

「必ず治る」と力強い言葉をかけてくれた社長の言葉を信じ、実業団入りを決意しました。 

実業団チーム入団~全日本チーム入りを果たした前田さん

入団後は、トレーニングと厳しい食事管理により、なんと3年で貧血症を克服されました。

中の人

意志の強さがハンパじゃないね

そして入団4年目には全日本入りを果たし、その2年後にはオリンピックにレギュラーとして出場。金メダル獲得に寄与しています。

 

チームのムードメーカーとしてメンバーから「エッコ」と呼ばれ、親しまれていた前田悦智子(まえだえちこ)さんは、日本女子バレーのセンター(背番号3)。

1976年(昭和51年)にカナダ・モントリオールで開かれたオリンピックでは、決勝戦で旧ソ連と戦い、見事 金メダルを奪還しました。

当時、世界でもトップクラスの跳躍力を誇っていた前田さん。男子にも引けを取らないほどだったそうです。

彼女の打点は非常に高く、「稲妻おろし」と呼ばれる必殺・超鋭角スパイクが強力な武器でした。

当時の前田さんの身長は175センチ。そしてチームの平均身長は174センチ余り。

対戦相手のソ連に比べると、決して大きくはありません。

しかし、速効と前田さんの「稲妻おろし」が連続ヒット、観る者を引き込む好戦をくり広げました。

このときの日本女子バレーチームは「新・東洋の魔女」として高い評価を受け、1964年(昭和39年)に東京で開催されたオリンピックの「東洋の魔女」のイメージを刷新しました。

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モントリオールオリンピック(1967年・カナダ)での活躍

このオリンピックで、日本女子はソ連を3-0のストレートで下し、金メダルを獲得しています。

1964年の東京オリンピックの金メダル以来、12年ぶりの王座奪還となりました。

メキシコ・ミュンヘンでは歯が立たなかったソ連に一矢報いた好試合でした。

  •  第1セット 15-7
  •  第2セット 15-8
  •  第3セット 15-2

この試合での前田さんの活躍は目を見張るものがあり、主将の飯田高子さん(当時30)も「前田(当時24)ら若い選手がとてもよくやってくれた」と絶賛していました。

前田悦智子選手

NPO法人バレーボールモントリオール会【モン・スポ Mon Sport】

バレー引退後~現在の前田悦智子(田村悦智子)さん

現役を引退してからは、バレーボールでお世話になった東京三洋電機の専務秘書に就任。

全く経験のなかった仕事でしたが、「あのときバレーボールにかけた情熱があれば、何だってできる!」を信条に、勤め上げました。

1997(平成9)年末に離職した後は、スポーツ選手としての経験を生かせる仕事を探し求めるかたわら、姉と共に美容サロンを開いています。

『爆報!THEフライデー』放送当時は千葉県館山市在住でした。1,000坪もある土地に豪邸を建ててお住まいだったんだとか。

元 旦那さまの田村巧さん(1930(昭和5)年5月1日(木)生まれ/2010(平成22)年没・享年92歳)は、亡くなる3年も前から遺産相続の準備を始めていらしたそう。

なお、千葉県館山市にある1,000坪の豪邸は、悦智子さんが相続されています。

元夫 田村巧さんとのなれそめ

歳の差夫婦として話題になった旦那さまとは、バレー部の部長と選手として出会いました。

バレーボール引退後、専務秘書となった前田さん(結婚当時30歳)。このときの専務が田村巧さん(結婚当時64歳)だったんですね。

中の人

職場恋愛をされたのね

結婚された当時は、34歳もの「年の差婚」ということで話題になっていましたね。

2009年には、タモリさん(森田一義さん)が司会を務めていた『笑っていいとも!』の「幸せ!ギャップ婚」というコーナーに旦那さまと共に出演されていました。

2016年に放送された番組内では、亡くなった元旦那さまの前妻のお子さんたちも遊びに来るとお話しになっていました。

中の人

悦智子さんの人柄がわかるエピソードだね

最近の前田悦智子(田村悦智子)さん

最近の田村悦智子さん(旧姓:前田)は、講演会活動や地域スポーツの普及活動(バレーボール教室)なども精力的にこなされているようです。

 

春の高校バレーのゲストに呼ばれたりとか。

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まとめ:前田悦智子(田村悦智子)さんは現在もお元気でバレーボールに携わっていらっしゃいました!

「東洋の魔女」と称される要因となった、1964年(昭和39年)の東京オリンピックでの日本女子バレーの活躍。

金メダルを獲得した決勝戦は視聴率66.9%と、スポーツ番組史上最高の記録を残しました。

この記録は現在も抜かれていないそうです。

※2015年10月2日(金) 時点での情報です。